2012年5月12日土曜日


<「マインド・コントロール」の理解をめぐって>

2.「マインド・コントロール」理論は
人間を無機的に扱うか

ここでは、「マインド・コントロール」されていた人たちが、その経験をどのように理解すべきかという問題を考えます。『カルトにいたときの自分も自分なりの判断、選択をしていたのに、「マインド・コントロール」されたなどと言われ、あたかも自分が無力で、選択能力をなくしたかのように言われるのは心外である』という意見が聞かれます。また、『カルトが「マインド・コントロール」で説明されると、自分が持ったはずの宗教的関心や個人的な悩みなどがまるで意味のないものとして扱われてしまう』という声も聞こえます。

「マインド・コントロール」、あるいはそれと同等のメカニズムをカルトに見出し、カルト脱会者の救援に携わる人たちは、一体どのような活動を行っているのでしょうか。アメリカにあるカルト・リハビリテーション施設、ウェルスプリング・リトリート&リソースセンターでは、脱会者へ、次のようなトピックについて情報提供やディスカッション、カウンセリング等を行っています。


wouldntのは、いびきを停止する

カルトのリーダーシップ、権威、影響力の特質/マインド・コントロールとグループ心理操作/依存症と依存心/自分の意見を持つためのトレーニング/否定的情動(怒り、不安、落ち込み、罪責感)などの取り扱い/家族関係/性の問題/社交関係の再樹立/決断を下すこと/霊的、宗教的な幻想から目覚めること/比較宗教/聖書解釈/特定の神学教理ないし事項/哲学的な概念や思想/就職・人生の目標/健全な宗教の選択

この他にも必要に応じて扱われるトピックはあると思いますが、脱会者に対して行われているのが「マインド・コントロール」の解説のみではないことが、一目でおわかりいただけるでしょう。『あなたは「マインド・コントロール」されていたんですよ』という筋書きを理解することだけが、脱会者救援のニーズを満たす作業ではないのです。


キャンディ太り過ぎ

カルト脱会者同士でも、「マインド・コントロール」の度合いには個人差があります。カルト・メンバーと言えど各々パーソナリティや個人的経験が違いますから、同じ組織に属していても組織への感情は当然異なります。さらに、カルトは極めて非民主的、不平等な性格を持つ集団ですから、構成員がどのポジションにいるか等の条件によって、与えられる経験が著しく違ってきます。入りたてのメンバーと10年選手との間、管理職と非管理職との間では経験や感覚が異なりますし、カルトには、同じ組織内でもかなり自由裁量の与えられる立場と拘束の厳しい立場とが混在しています。カルト・リーダーにとっては、組織全体として搾取構造が成立すればいいのですか� �、ガス抜きや飴を与える意味で、特定の人間に甘い汁を吸わせることもあるのです。


私はあなたに触れたとき、私はショックを受ける

このような理由から、実際にカルトがどの程度「マインド・コントロール」を施していたか、また、メンバー各々がどの程度それに呼応していたかについて、個人差があるのは当然と言えます。そのため、例えば、客観的にもそれほど強い「マインド・コントロール」の影響下に置かれなかった脱会者や、外部からの圧力に比較的強いパーソナリティを持ち、リーダーから同じ要望や叱責を受けても他のメンバーより感応しにくい(気にしにくい)脱会者にとって、他の脱会者のカルトへの批難が被害妄想的なものに感じられることがあるようです。そのため、その人たちが必要以上にカルトに対して責任を問うたり、擦り付けたりしているよ� �に見え、『私は「マインド・コントロール」なんかされていなかったのに、あの人たちは極端すぎる』と感じることもあるようです。

しかし、その脱会者個人がどう感じるかということと、属していたカルトが「マインド・コントロール」やそれに伴う人権侵害、犯罪行為を行っていたかどうかは別問題であり、後者が客観的に事実であれば、脱会者個人が被害意識を持っているか否かに関わらず、その集団が社会的に問われるべきであるのは言うまでもないでしょう。


また、脱会者に「マインド・コントロール」されたという自覚がないことが、「マインド・コントロール」の存在を否定する証明にはなりません。カルトが「マインド・コントロール」を行っているか否かという事実関係と、当事者が「マインド・コントロール」されたと自覚するか否かという認知上の問題とは、別次元のものなのです。なぜなら、先述のように、「マインド・コントロール」はその人の判断力を自覚なしに奪うため、その事実に気付くには適切な情報やガイダンスが必要だからです。「マインド・コントロール」の存在は学問上では証明できますが(社会心理学分野では、科学的検証が行われています)、個々人がそれを認知し、自覚するには、その人が置かれた状況によ� ��てどうしても個人差が生じるのです。

では、なぜこれらの情報がカルト被害者に必要なのでしょうか。それは当事者が、自分がどのような状況に置かれたのかを客観的に理解する手立てとするためです。自己の経験を整理する際、このような力が働いていたことを確認し、自覚しえない力に晒された事実を認める過程が必要なのです。


例えば、ウィルスの感染から逃れるためには、それなりの予防措置が必要です。ウィルスは誰にとっても脅威ですが、感染するには体力が落ちるなど、される側の条件が整わなければなりません。これと同じようなことが「マインド・コントロール」にも言えます。つまり、「マインド・コントロール」が、ウィルスのように客観的に外界から働く一定の力であることは間違いないのですが、される側が、どうすればより感染を予防しやすいかを理解していれば、リスクは確実に減らすことが出来るのです。逆に、そのメカニズムを理解しないままでいると、カルトに戻ってしまったり、あるいはまた別の、同じようなウィルスに"感染"してしまう危険性が残ります。実際、「マインド・コン� �ロール」のメカニズムを理解していない人に"カルト・ホッピング"(1つのカルトをぬけても、また次に別のカルトへと移り続ける依存状態)が多いことも知られています。「マインド・コントロール」の理解は対処療法のみならず、予防医学の働きをするのです。

付け加えるなら、これは"予防医学"ですから、カルトを経験していない一般の人にも必要な知識です。「マインド・コントロール」が効力を発揮するには�



These are our most popular posts:

足跡

状況と状況認知から見た"あがり"経験 心理学研究,70,30-37. 3.有光興記 (2001). 罪悪感,羞恥心と性格特性の関係 性格心理学研究,9,71-86. 4.有光興記 ... 何が 性格によるのか 教養のための心理学を考える会(編) 素朴な心のサイエンス 北大路 書房 pp.189-207. 3. ... 人のせいにする 加藤 司・谷口弘一(編) 対人関係のダーク サイド 北大路書房pp. ... あがり」への対処法-2-―シンクロナイズドスイミングの選手を 対象として―. read more

「競技スポーツにおいて情動はいかにパフォーマンスに影響をあたえるか ...

2005年9月5日 ... 罪悪感の中心的関係テーマ(the core relational theme)は道徳的規範の逸脱であり、 羞恥心の中心的関係テーマは、自己の ... どれほどの情動的苦痛が経験されるかは、 罪悪感や羞恥心が主観的にどのような行為と結びつけられているか、大きな人格的な ... 恥を隠そうとすることは、何が起こっているのかを確かめることを妨害し、効果的な コーピングを可能にする自己診断を遅らせたり阻んだりすることにつながる。 ... このこと は特定の試合にあてはまるだけでなく、選手生活、一般生活にもあてはまる。 read more

ブレイクスルー・エクスペリエンス

また、プライベートや仕事に関わるリレーションシップの問題をどのように解決するかを 教え、さらに人生の7つの領域;メンタル、仕事、社会生活/人間関係、家族、お金、 健康、スピリチュアルを充足させる方法を指導します。 ブレイクスルー・ ... 羞恥心や罪悪 感を解消して、自分の価値を再構築したい方 • 健康に問題 ... 誰かに傷つけられたり、 裏切られた経験を持つ人 • 影響力を行使する立場にいる政治家やスポーツ選手、 芸能人 • 夫婦 ... read more

「マインド・コントロール」

入りたてのメンバーと10年選手との間、管理職と非管理職との間では経験や感覚が 異なりますし、カルトには、同じ組織内でもかなり自由裁量の ... カルトが「マインド・ コントロール」を行っているか否かという事実関係と、当事者が「マインド・コントロール」 されたと自覚するか否かという認知上の ... そこには家族や友人を始めとする人間関係、 個人の経験、情緒、宗教的願望、罪悪感、理想や希望等、様々なものが混沌と存在し ています。 read more

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿